2009年7月11日 (土)

北東北3県、強行軍の旅

北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅
北東北3県、強行軍の旅


昨日、2日間の社員旅行が終わり、今日は休みだった。去年に引き続き、北東北、秋田、青森の旅だった。社員旅行なだけに、ただひたすら強行軍で観光地を回る、というスタイルだが、今回は運転手さんが詳しい方だったので、意外なスポットに案内してもらった。有名な観光地よりも、そういう穴場の方が面白かった。全くのプライベート旅行だったら、もう少し時間をかけるはずの場所を、駆け足で回っていく。が、たった2日間でこれだけ回れるのも社員旅行ならではだったりする。
 
不老不死温泉は、僻地にありながら、けっこう観光客が来ている。逆に、新しく造成した観光地は立派な施設がありながらかなり寂れてしまっている。不景気の直撃を受けた北東北の現状を、まのあたりにした旅でもあった。逆に、地元なりの工夫をし、地道に頑張っている所は、なんとかいい方向に向かっているようだった。青森、日本海沿岸・深浦町はイカ焼きで有名だが、美味しい所は健在だった。
 
太宰治記念館・斜陽館も、何度も人手に渡った後、現在は市が運営し、NPOの職員が館内説明にあたっていた。生誕100周年という事もあって、かなり賑わっている。職員さんの説明がよく、去年も来た斜陽館だが、初めてわかった事もけっこうあった。日常とは別世界の旅行だったが、年に何回も無いのでいろいろな発見がある。なにより、他の施設のなかなか会えないメンバーと話が出来るのがよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

青森県東津軽郡日本海沿岸

青森県東津軽郡日本海沿岸
青森県東津軽郡日本海沿岸
青森県東津軽郡日本海沿岸

現在、社員旅行中。青森県東津軽郡、日本海沿岸へ向かっている。社員旅行は1年に1回ぐらいだから、貴重な機会だ。施設の職員同士なので、ひたすら観光地を回る。ルート周辺には魅力的な林道や秘境があるのだが、全く寄る事はない。昭文社ツーリングマップをみると尾去沢鉱山跡、白神山地など魅力的な秘境が並んでいるが、ただ近くを通り過ぎて行く。

こんばんは、厚蔵です。現在、青森県日本海沿岸、不老不死温泉、21時半。社員旅行中、みな飲み疲れて、テレビ・県民ショーを見て盛り上がっている。今回は数百人の職員中、第5班・10数人の旅行だ。こういう機会でないと聞けない話が聞けるので、これはこれで貴重な機会だ。しかし温泉は本物で、ここはこれてよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

暗殺者は十二人、龍馬の太平楽

暗殺者は十二人、龍馬の太平楽
暗殺者は十二人、龍馬の太平楽


『暗殺者は、十二人である。
いずれも札付きの狂信的な国粋攘夷主義者で、斬姦状に、「専ら洋風を模擬し、神州の国体を汚し、朝憲を蔑ろにし、浸々蛮夷の俗を醸成す」とある。
ただ、益次郎にとって不幸なことは、十二人のうち三人までは、自分の郷党の長州藩士であることであった。ほかに土州藩士五人、その他四人。それぞれ、逮捕された。』
 
「鬼謀の人」より
 
高杉晋作も同藩の過激攘夷主義者に追い回され、長州から脱出した時期があった。高杉晋作までがこの状態では、大村益次郎が襲われるのも無理はないが、時代の沸騰点ではなにが起こるかわからない。「俺が卑怯者かどうか見てみろ」と、部屋を飛び出すなり立ったまま切腹してしまう志士がいる時代。あまりにも多くの理不尽な流血があった。しかし、それだけのエネルギーがあったからこそ、幕府を突き崩す事も出来た。しかし同時に、その後、軍部の暴走の遠因にもなった、と司馬遼太郎は分析する。
 
こんばんは、厚蔵です。現在22時、今日は夜勤明け、仮眠後、友人宅へ行き、今帰ってきた。明日は社員旅行、朝8時出発で、青森県東津軽郡にある不老不死温泉へ行く。ここはなかなか予約が取れないそうだが、幹事ががんばった。
 
写真は昨日、夜勤・巡回中24時、月が中天にさしかかっている。勤務中でここから脱出できないだけに、よけい綺麗に見える。もう一枚は、熱帯魚・ベタ、昨日、夜勤前にホームセンターで見かけて、つい買ってしまった。ベタはじっとしているものだと思ったが、餌をくれと、人を見ると活発に動いている。小さい容器ではかわいそうなので、5000円ぐらいかけて、楽天で水槽や水草、水質調整剤を買い、数日中に届く予定。熱帯魚を飼うのは5年ぶりだ。
 
大村益次郎や高杉晋作も、同郷の長州藩士に追い回される時期があったわけだが、同じ郷土でありながらも、主義主張が時代とともに変化し、その中で、仲間割れがおこる。明治維新後もそれは続き、過激派に益次郎は暗殺される。この同じ思想の同志内でさえ、反目、相克しあう状態が、昭和の学生運動時代にも、内ゲバなど多数起こった。今の日本のノンポリ状態はその反動なのだろう。が、時代の閉塞感の中で異常犯罪が多発している。
 
などと、自分がごまめの歯ぎしりをしてもたかが知れているのだが、少なくとも、自分が関わろうと決めた友人、知人とは、連携し励ましあって行こうと思っている。どうしてもつきあう数は限られるが、そのために就職や企業情報などはなるべく集めるようにしている。
 
それでも、今までの歴史を遠望すると、なんとか、いい方向へ進むための、思想、行動への模索、苦闘が少しずつではあっても、出来ているのではないか。と、いい意味での楽観主義であり続けている。自分の場合、家の宗旨で、鎌倉時代以来の日蓮仏法を、それなりにではあるが信仰している。花巻の偉人・宮沢賢治も日蓮宗だった。晩年の司馬遼太郎も憤慨していたが、希望は無くさなかった。龍馬・路傍の死の覚悟を思いながら、仕事中や人と接するときは、太平楽な顔をしようと心がけている。自分なりの努力を続けながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

NTT・光テレビ、ビデオ「戦国自衛隊」

NTT・光テレビ、ビデオ「戦国自衛隊」
NTT・光テレビ、ビデオ「戦国自衛隊」


去年12月、パソコンを買ったときに強制的に付いてきた光テレビ、月々3000円以上かかるが、2ヶ月は無料だというので、あまり見ないがほっておいていた。が、もうそろそろ無料期間が終わるので、解約するかどうか迷っていた。その際には、チューナーも返さなければならないので、2重に面倒だったりする。いよいよ7月になり、光テレビについてネットで詳しく調べた。月々、3000円以上払う価値があるかどうかだが、テレビプランよりもビデオプランのほうが、使えるようだった。見放題作品であれば、いつでも続きを好きな時間に見ることが出来る。
 
こんばんは、厚蔵です。去年、新しいパソコンやらネットを光に変えたのやらで、パソコンを値引きしてもらったのはいいものの、光テレビをはじめ、おまけの様々なプランが今になって邪魔になってきた。無料期間が終わる以上、いつまでもNTTにつきあってはいられない。しかし、その中でも、光テレビは意外にも使えそうだ。古い映画もハイビジョンで放映されていたりする。逆に、いらないものはどんどん削除している。ドコモのフォーマ・データ端末料金プランも見直し、2500円ほど経費削減できそうだ。
 
昨日、テレビプランからビデオプランに、端末上で変更し早速、1時間ほど見たのは、25年以上前に上映された「戦国自衛隊」、少し前にも新しい映画が上映されたが、自分は25年前の作品の方が好きだった。荒削りだが、面白い。千葉真一もまだ若く渾身の演技をしている。なにより上杉謙信が生き生きと描かれている。やはり当時の役者さんの演技は、合戦シーンなどでも迫力があるように思う。なにより、当時、小学生だった自分にとっては衝撃的な作品だった。
 
今日も施設早番勤務がやっと16時に終わり、現在帰宅途中。夜中に様々な作業をして、「戦国自衛隊」なども見始めたものだから、睡眠時間が4時間ほどになってしまった、3日続けて、4時間程度の睡眠が続くと、疲れが蓄積してくる。それでも、NTTが現在、力を入れて展開している光テレビ、その放映内容もそうだが、システム自体にも興味があるので、もうしばらく継続して加入しているつもりだ。ビデオの方がゲームをやるよりは時間はかからないと思う。写真はその映画のワンシーンと、今日の豪雨、あわてて利用者の居室の窓を閉めて回った。しかし、汚かった車が一気にきれいになった。
 
このブログもポメラで書いているが、仕事関係にせよ、プライベートにせよ、メモ感覚で一日に何十回と開いて使っている。パスワード保護していても、2秒で起動するので全く問題ない。カバンにいつも投げ込んでおくことになりそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

大村益次郎の対人接触、キングジム・ポメラ

大村益次郎の対人接触、キングジム・ポメラ
大村益次郎の対人接触、キングジム・ポメラ


『「おかしな顔をしていて、なんだか肝のわからぬ人だ。」と、同藩の門人にさえいわれたほどの男である。薩人はみな、
(愚弄するか)と、怒気をふくんだ。
西郷は、益次郎の態度に何かを察した。これ以上議論を続けても得るところは仲間割れだけだとみて散会し、自室で、益次郎の来るのを待った。
 
西郷というこの政治感覚の豊かな男は、この異相な長州人をわずからながも理解し始めていた。なにかのはずみで人の世にまぎれこんだとしか思えないほど、対人接触がまずい。たった一つ、兵を動かす天才だけを持ち合わせ、それだけを持ってにわかに風雲のなかにでてきた。
 
奇士である。もし奇士が天才とすれば、天が軍略家のいない薩長をあわれんでとくに降してくれた人物かもしれない、と思った。』
 
「人斬り以蔵」新潮文庫、鬼謀の人より
 
こんにちは、厚蔵です。現在14時半、この文章はキングジム、ポメラで書いている。必要に迫られて今回買ってみた。写真はポメラ本体、何か会議録などの文章を書くだけの場合、ノートパソコンは重く、ネットブックでも重い。必要でないかぎりは家に置いてある状態だ。が、このポメラだと小さく、370グラムだという。これだと、鞄の中に放り込んでおける。バイクでどこかへ行ったときにも使える。使い勝手はいたってよく、ネット上の評判もすこぶるいい。
 
文庫「人斬り以蔵」を読み進んでいる。司馬遼太郎の初期作品なので、読者サービスは旺盛だ。男女間も自由自在に詳細に描く。夫婦というのはこうでなきゃいけないな、と読者を納得させてくれる。同時に女の恐ろしさも描き出している。その中でも大村益次郎の小編、「鬼謀の人」は初期作品なだけに遠慮会釈なく、その真実を描いている。その後の長編、「花神」上中下はその真実に詩をふんだんに取り入れているような感じがする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

鬼謀の人・村田蔵六、また飲み会

鬼謀の人・村田蔵六、また飲み会


司馬遼太郎文庫の中で「人斬り以蔵」という短編集がある。3日間の旅行の中でまた再購入したが、「鬼謀の人」という小編はまた熟読してしまった。長州藩・軍師、大村益次郎こと村田蔵六を描いた作品だが、長編「花神」の源流にあたる小説になる。「花神」でも語られなかったエピソードがちりばめられている。蘭学者として幕府や宇和島藩に早くから見出されながら、地元の長州藩からは見落とされていた原因が語られる。一つには「交際ぎらい」があった。また、なぜ医学者から軍学者になったかについては、緒方洪庵の適塾でその軍学の才を見出されたというのがある。
 
こんばんは、厚蔵です。現在22時、4日間の休暇の最終日、なんとかバッファロー無線ランの不具合を安定させる事に成功した。そのあと、さすがに少し勉強しようと思ったが、友人に誘われ、夕方から3時間ほど飲み会になった。村田蔵六ではないが、自分も人付き合いはそんなにマメではないが、それでも、今日は行った方がいいだろうという判断は出来る。おかげでパソコン検定などの勉強はなかなか進まないのだが、その分、施設勤務後に頑張る事にする。とても蔵六の学問への姿勢には遠く及ばない。いやいやバランス感覚が大事なんだと自分に言い聞かせた。
 
友人の娘は久しぶりのお出か掛けという事もあって、本当にうれしそうだった。自分なども、5歳児ながら、ELT・持田香織の少女時代に似ているな、などと、つい好きなの頼んでいいよ、と言ってしまっている。1700円のパフェは思いのほか大きく、みんな驚いた。仕事のことなど、あーでもない、こーでもないといつもながらの話なのだが、大事な時間だったりする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月30日 (火)

北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域

北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域
北上山地最高峰・早池峰山麓・タイマグラ地域


ここはまさに陸の孤島だった。タイマグラとはアイヌ語で「森の奥へと続く道」の意味だそうだが、電気が通ったのが1988年、日本で最後だった。最後の秘境といってもいい場所だ。峠付近のかなりの部分がすれ違い出来ない国道から、10数キロ山へ向かうのだが、全くの一車線道路で車のすれ違いがギリギリでしか出来ない。さらにある地点から早池峰山の登山口までは一般車が規制される。どうしても一度は行ってみたい場所だったが、ここまで不便だとは思わなかった。次回はバイクで来るしかない。有名な登山スポットだが、周辺道路の整備状況は厳しい。だからこそ自然が残っている。
 
こんばんは、厚蔵です。現在22時。3日間の旅が終わった。東北の首都・仙台市から日本一辺鄙な場所、早池峰山・タイマグラ地域へ。北緯40度の三陸・黒崎断崖もまさに辺境だった。今日は午前中はあいにくの雨、午後も不安定な天気だったが、一度はまず行ってみたいと思っていた場所はかなり回ることが出来た。
 
宮古市の魚菜市場は、ここは活気があった。観光産直というより地元の人も訪れる場所なので、たしかに新鮮で安かった。お土産に生ウニ瓶詰め150グラムが1500円だった。寿司店用のウニなのでこれは家族も喜んでいた。季節限定の海産物なので、これだけはおさえた。
 
しかし、昨日、宮古市内を一方通行を逆走して交通違反2点という事態になった。これは自分のカーナビが8年前のもので、市内の規制がかかったのが5年前だという。しかも7時から20時までの規制だ。ナビを信じていたので規制の標識を見落としていた。ちょうど差し掛かったパトカーに御用となったが、なんちゃって法学部の知識で警官に情状酌量を求めたが、当然無駄だった。恐ろしいことに現在の宮古市内は一方通行の網の目のようになっている。ネット上でも宮古市の一方通行批判の記事が目に付く。バイクで行ったら更に間違えやすいかもしれない。
 
規制から半年ぐらいは猶予期間があるが、それ以外は知らなかったでは済まされない、というのは授業で習った記憶がある。自慢ではないが一度捕まった違反項目では二度と捕まらない自信をもっているが、このナビが間違っていた、というのは全く想定外だった。前回の点数と合わせると4点・・。土俵際になってきたが、これからは捕まらない。今まで20年間、バイク、車でけっこう走り回っている。違反が少ないというか捕まらないようにしているので、前回の免許は5年更新になっていたが、次回はまた3年更新になる。
 
というので大都会、辺境の地、難所悪所、更には捕まったりと、たった3日間でも様々な旅が出来た。同時にある程度、目標を決めて行ったので、それぞれじっくり見ることが出来た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月29日 (月)

岩手県・北部沿岸、北緯40度

岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度
岩手県・北部沿岸、北緯40度

 
朝6時半に奥州を出て、岩手県・北部沿岸、北緯40度を目指した。今日の走行距離は300キロに達した。仙台までは100キロぐらいだから3倍は走った事になる。天気も梅雨時で不安定なのでインテグラでやってきた。走行距離があるので、目的地は絞った。この普代村、黒崎、北山崎は陸中海岸の中でも特にリアス式海岸の断崖が続く。山が直接海に落ち込んでしまっている。海のアルプスというが、絵葉書のような絶景だ。自分も岩手県人でありながら、今までに3回しか来たことがない。とにかく道が曲がりくねっていて、遠い。
 
こんばんは、厚蔵です。現在18時半、単独行の旅が続く。明日は盛岡の友人の都合がつくそうなので昼食を一緒にとる予定。今回はただただ走ることに徹した。かつての営業時代は会社経費で月4000キロ近く走っていたが、今は、そんなには走れなくなってしまった。その分、今回は走ることにした。奥州からここまで来ると、風景も人も変化していくのがわかる。昨日の宮城県仙台市から比べると、なにもかもが隔絶している。ここまで来ると、まさに辺境の地、という感じがする。
 
6月で平日ということもあって、観光地とはいってもほとんど人がいない。しかしたまに見かけたナンバーが山梨県だったりして、本当に好きな人間がこの地を訪れている感じがした。キャンプ場一つとっても、有名な場所だけあってよく整備されている。このキャンプ場を確認できただけでも成果があった。ここを拠点に、周辺を回ることが出来る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

首都・仙台からどこか辺境の地へ

首都・仙台からどこか辺境の地へ
首都・仙台からどこか辺境の地へ
首都・仙台からどこか辺境の地へ


本好きアウトドア好きの数少ない友達と仙台であってきた。親戚の用事をすませ、約束の喫茶店へ行った。ひとしきり、前にあげた「天使と悪魔」上中下(ダン・ブラウン著)の話をした後、「週刊・司馬遼太郎」の話になった。先日出たばかりの5巻を見せると、しばらく読んでいた。今回の題材は「最後の将軍」(徳川慶喜伝)、播磨灘物語(黒田官兵衛伝)等で、またまた面白い。あまりにも絶賛するので、結局、またあげる事になった。まだ半分しか読んでいないので、自分の分は買うことにする。
 
こんばんは、厚蔵です。現在、24時。4連休の初日、東北の首都・仙台へ向かった。親戚関係、友人などもいるので、仕事の出張とも合わせると、月に2回ぐらい来ている。
 
写真の本好きの女友達は、2001年からのつきあいだが、会っても、話もそこそこにお互い持ち寄った本の読書会になってしまう事がある。しかし同時にアウトドアの趣味も合うので、貴重な存在だ。時々会う、読後の感想をメールでやり取りする。というような関係だが、大事にしている。彼女は司馬作品も数多く読んでいるので、話を聞いていても面白い。なにより、話したければ話す。読みたければお互い読む。という肩がこらない関係がいい。
 
明日は盛岡の友人に会った後、どこか辺境の地へ向かう予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

2001年、傭兵時代の4年間

2001年、傭兵時代の4年間
2001年、傭兵時代の4年間
2001年、傭兵時代の4年間

 
写真は奥州市内・北上川某河畔、なかなか休みが無いので、施設早番勤務後、散歩に出た。この時期、いい季節なのだが、とにかく虫が多くなる。川原なんぞに夕方行ったら、蚊に刺されまくってしまう。ということで、いつものワンタッチテントを持参して行った。けっこう蚊が出ているが、テントのメッシュのおかげで虫は防いでいる。しばし横になって野鳥や虫の音を聞いていた。しかし夕暮れ時、こんな所で寝ていると、アフリカ・シエラレオネかなんかでの、ゲリラ戦最中の傭兵のような感覚にもなる。
 
おはようございます。厚蔵です。現在午前10時、今日はやっと施設は休み。テントで横になって考えていたのは、2001年の飲料メーカー営業時代の事だった。全国組織だったが、中堅メーカーなので、とにかく忙しかった。給与は固定給だったが、売上ノルマが高く、これはなんとしてもクリアしなければならなかった。年間1億円は売っていた。写真はその2トントラックの運転席、350日ぐらい乗っていたので、ほとんど家のようになっていた。
 
自分のいた奥州の支店は、気のいい人間が多く、今でも何人かは付き合いがあるが、仕事はきつかった。まさに企業の傭兵だった。ただ、売上さえ行けばあまりうるさくない、という面もあって、仕事がてら、トラックで沿岸・釜石市などに行って、ご当地海産物を食べて帰ってきたり、という役得もあった。しかし、実質の休みはほとんど無い状態で、睡眠時間も削って仕事という日も続いていた。しかし、この時の限界生活はいい訓練になった。あの時代よりまし、という判断が出来る。
 
今の給料はその時代の3割減だが、その分、友人との時間、自分の時間を作れるようになった。おかげで施設勤務後、かなり疲れてはいても、あの頃はまだまだ仕事だったなどと思いながら、友人とどこかへ行ったり、自分の勉強をしたりと、仕事が終わってからでも、自分の作業に取り組めるようになった。今日から4日間はなぜか施設は休みになる。これは施設初の試みでリフレッシュ休暇、という制度が始まり、今月は自分の割り当てになった。せっかくなので、これから宮城県・仙台へ行き、その後、北上して岩手山へ向かう予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«田舎者と変わり者